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大学教育について  

1.はじめに
今大学時代に世話になった教授の代わりに臨時講師をやってるという話をちらっとしました。
で、毎週水曜に一年生にXNAでのゲームプログラミングという題で教えてます。
そんな中、ちょっと腹がたつ事があったのでちょっと書きなぐりますが、現役大学生や
大学進学を考えている高校生の人がいたらまあちょっと読んでみてください。
無駄にはならないと思います。

ウチの大学はお世辞にもいい大学とは言えない、というかまあバッサリ言ってしまえばFランです。
さらにそこの芸術学部で、新設学科で、入試もザルのようなもので、学生の質ははっきり言って悪いです。
昨日の授業(といっても演習形式ですが)では「txtファイルの作り方がわからない」と言われて愕然としました。

そんなレベルの学生、しかも一年生にC#+XNAをやらせるというのだからまあ難航はします。
サンプルプログラムをクラス自体には手を触れないレベルでいじらせて、といった程度にとどめています。
最終的にもそのレベル+ちょっとすすめるくらいで課題を提出させて俺の担当は終わるつもりです。

まあつまり、俺は百歩譲ってるにもかかわらずウチの学生には手に余るような内容なわけです。
そんな中で一人の学生に言われました。

2.勘違いをしている学生
「何をやっているのか、先生が何を言っているのかわかりません。ほとんどの人がそうだと思います。
 授業料を払っているのだからちゃんとわかるような授業をやってください」

学生時代にもTAなんかをやってて、だいたい一年生にはそういうのがいるというか
一年生の大半はそのような意識を持っているということはだいたいわかってました。
でも面と向かって言われたのは初めてでして、まあさすがにキレそうになりましたねw。

でもさすがに俺も年をとっているのでそこは抑えて、わからないというなら本を読んでください。
この程度の答えは全部本に書いてあります、とだけ言っておきました。

このような意識の持ち主には色々言いたいことがあります。
まず、授業料を払っているのはお前自身じゃないだろ。ということ。
自分で働いて貯めたお金で通っているなら言い分も聞きますが、そういう学生はそもそもこのような発想はしないでしょう。
授業料を払っているのは大方両親です。
だから授業料に報いるのは教員が学生にではなく、学生が両親にのはずです。
両親が学生に立派な大人になってほしいと、多額の授業料を払って大学に通わせてやってくれているのです。
学生はその想いに応えるべく、勉学に励み、技術を身に付け、立派に自立するためにあらゆる努力をするべきです。
授業のレベルが高すぎてわからないというのなら、自力で勉強して授業に追いつくべきです。
それが「授業料を払っているのだから」という言葉に対する答えです。
(そもそもレベルが低い人に授業を合わせると、それこそレベルの高い人が払っている授業料が無駄になります。
 自分の無能さを人のせいにしないこと。自分が無能であることを自覚しているならそれを補う努力をすること。)

つぎに、大学は教育機関ではなく研究機関であるということです。
大学で学ぶべきこととは基礎的な事ではありません。
俺がプログラムの授業でfor文の書き方なんぞ教えた所で、それこそ時間の浪費です。
基礎的なことはすべて本に書いてあります。図書館に2ヶ月もこもれば学べることです。
大学の教員は教職ではなく研究者です。
大学生はその研究のおこぼれに預かれるという特別な許可を得ているのです。
授業料への対価で最もたるものはこれです。
大学の授業というのは往々にして教授の趣味に偏ったり、非常に特殊な状況を取り扱ったり
学生が全く追いつけないような高レベルの話になります。
そのような授業を嫌い、基礎的なことを教えろというのはまったくもって筋違いです。
本には決して書いていない、研究制作の前線というのが大学の授業の本質です。

最後に、大学教員と大学生は対立関係ではないということです。
小中高とほぼすべての学生が何らかの形で教員と対立してきたはずです。
それは時に過激な対立であったり、静かな対立であったり、または複雑な形での対立をしたと思います。
なぜなら高校までの教員は教育者であり、生徒に正しい知識を豊富に身につけてほしい、
そのためには自身は嫌われたって構わない、という熱い心の持ち主が多かったからです。
それに対して大学教員は基本的に冷めています。彼らは教育者ではなく研究者だからです。
大学教員は学生に大した興味を持っていません。
たまに現れる、自分の領域をよく理解している学生や、理解しようと努力している学生を見かけると
同志として引きこむということはもちろんしますが、学科生全員の面倒を見ようとは欠片も思っていません。
難しい授業をする教員は、高校までならば学生に勝負を挑むような形で、学生の力を引き出そうとしていました。
しかし大学では、授業についてこれない学生には興味がないというただそれだけの話です。
おそらく学生には
「君はたぶんこの領域に適性がないんですよ。まあ残念でしたね」とか
「ところで君はどうしてこの学科に来たんですか?」とか
「基礎的なことは本に書いてあるから本を読みましょう」とか
「専門学校とかのほうが合ってるんじゃないですか?」といった言葉が
非常に攻撃的、挑発的に聞こえるでしょう。
しかし、大学教員はそんなことは思っていません。
ただ言葉通りの意味しか思っていません。
思っていませんし、仮に学生がその言葉をきいて激昂したとしても意に介さないでしょう。
なぜなら、大学教員は学生を育てる教育者ではなく、研究に没頭する研究者だからです。

3.学生の本分とは何か
学生は単位を欲しがります。単位は進級ひいては卒業に必要なものなのでそれは当然です。
しかし、時に学生は様々な姑息な手段を用いて効率よく単位を取ろうとします。
そういった行動は嗜虐的な教員や、教育者的教員以外は基本的に見逃します。
なぜなら、単位は物事の本質ではないからです。

本質は授業から得た知識やセンスであり、授業に出席した証明や課題、テストの結果ではありません。
よく中高生は「○○なんて社会に出たら役に立たねーよ」などと言いますがかなり本質をついています。
単位などというものは大学を卒業するためだけにしか役に立ちません。
大学を卒業したとき卒業生に残されるのは卒業生自身のみです。
自身にどれだけ学んだことを刻み込んだかが大事なのであり、単位をいくつ取ったかなどということは全くの無意味です。
だから学生はとにかく学ぶこと。本を読むこと。
授業では本に書いてないことを学ぶこと。
学ぶためには特に専門領域の教員と個人的に親しくなること。

4.実績と実態
おそらく大学は学生諸君に実績を要求すると思います。
しかし、学生諸君が作るべきものは実績ではなく実態です。

論文が学会に通ったとか、作品が入賞したとか、そういった実績は大学には評価されますし
今後の研究や制作にもハクが付きますが、それを目標にするのは非常に危険です。
なぜなら学会に通るとか入賞するといったことはわりと簡単に達成されてしまうからです。
目標が達成されるということは満足感と同時に虚無感を生み出し、大抵の人がその後続かなくなります。
特にその目標が非常に低かった場合は顕著です。

確かに、学会や入賞といった短期的目標を持つのは大事ですが、最も大事なのは実態を得ることです。
つまり、入賞する作品をひとつ作ることではなく、作品を作り続けることを目標としてください。
続けることは実態を得ます。
実績はあなたを「作品を作ったことがある人」にしますが、実態はあなたを「作品を作っている人」にします。
そして実態はあなたに自信を与え、いずれ大きな実績を与えてくれるでしょう。

5.さいごに
大学ではただ授業を受けていても何にもなりません。とにかく時間とお金を無駄にします。
そういう人は専門学校に行ったほうがより効率よく学べるでしょう。
大学は何もしない人には何も与えませんが、自ら学ぶ人には多くを与えてくれる素晴らしい場所です。
現役大学生、これから大学進学を希望している高校生たちはせっかくの大学生活を無駄にしないよう
本質とは一体何かを見極め、精一杯学んでください。

とりあえず言いたいことはそれくらいです。
ふうスッキリした。
たぶんウチの学生にこんな話してやってもハァ?みたいな顔するんだろーなー。

category: ただの日記

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